見つかれば殺されてしまう。
冤罪を負うて蜚蠊生れけりー笹下蟷螂子
(えんざいをおうてごきぶりうまれけり)
ゴキブリ自身悪いことをしているとは思っていない、見つかれば殺されてしまう。
生れたばかりのゴキブリは間違いなく純真無垢だ。
「負うて」は「負ふて」が正しい。
うッ・・「・・て」はウ音便かな。
警察は無罪と分かっていても、起訴して有罪に持って行く場合もある。
俳句は読者と共同作業
秋の夜装丁威張る文庫本―bn
事件に巻き込まれた死
けふよりは父亡き日々よ冷奴ー澤井洋子
逝かれたお父さんの年齢、看取られた洋子さんの年齢によって解釈、鑑賞は大きく変わってくる。
人の死にもいろいろある、多分、誰でもそうだと思うけれど、事件に巻き込まれた死は耐えられない。
生死の虚実は問うところではない
冬耕の兄がうしろの山通るー龍太
私は、写生は、感じたものを見たものにする表現の一方法と考えている。
その逆でもいい。
また俳句は「私」に徹して「私」を超えた作品に高めるものだと思っている。
例えばこの作品の場合、私の兄でなくてもよろしければ成功したものと思いたいのだ。
この場合、生死の虚実は問うところではない。
昭43・7『自選自解飯田龍太句集』
菜の花や妣の頭の見へ隠れーbn
「虚実を問うところではない」と言っているから。
菜の花や母の頭の見へ隠れーbn
この方が詩情はあると思う。
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「本当にそうだったんです」
「本当にそうだったは捨てましょう」櫂 未知子
見た物、事をそのまま句に詠んでも詩情は発生しない。