bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

見つかれば殺されてしまう。

冤罪を負うて蜚蠊生れけりー笹下蟷螂子
(えんざいをおうてごきぶりうまれけり)

ゴキブリ自身悪いことをしているとは思っていない、見つかれば殺されてしまう。
生れたばかりのゴキブリは間違いなく純真無垢だ。
「負うて」は「負ふて」が正しい。
うッ・・「・・て」はウ音便かな。
警察は無罪と分かっていても、起訴して有罪に持って行く場合もある。

事件に巻き込まれた死

けふよりは父亡き日々よ冷奴ー澤井洋子
逝かれたお父さんの年齢、看取られた洋子さんの年齢によって解釈、鑑賞は大きく変わってくる。
人の死にもいろいろある、多分、誰でもそうだと思うけれど、事件に巻き込まれた死は耐えられない。

文法の間違い

日に三度くすりをのんで秋ふかー喜多みき子
「秋深し」は、冬隣、明日は立冬
「秋深む」は、だいぶ秋が深くなったなぁー、という感慨。
この人は決まった時間に何年も薬を飲んでいるのでしょう、四時代で暗くなる冬期、七時でも明るい夏。
薬を飲むことによって季節の移ろいを感じている。
秋ふかむ、人生の深まりでもある。

*深む」は他動詞で作者が深めることは出来ない。
ヤフーブログ、僕の投稿記事から、出典はは不明。
投稿したときは僕も分からなかった、句評は僕だと思う。

 

答を出すのは読者


怒号より強き黙あり冬の海―大串 章
「より」-①〘副〙(多く形容動詞の上に付けて)それまでの程度をこえて。
いっそう、さらに、もっと。

②〘助詞〙(格助詞)動作の起点となる地点・・・
(活用語の連体形について)ことが起ってすぐ後の事の続く意をあらわす・・・するとすぐに・・・するや否や
以下



⑥・・・(怒号から)
怒号より黙のほうが堪(こた)える叱責。
怒鳴りちらした後、喋らなくなった。
二通りの解釈が出来る、作者は答えを出さない。

 

生死の虚実は問うところではない

冬耕の兄がうしろの山通るー龍太
私は、写生は、感じたものを見たものにする表現の一方法と考えている。
その逆でもいい。
また俳句は「私」に徹して「私」を超えた作品に高めるものだと思っている。
例えばこの作品の場合、私の兄でなくてもよろしければ成功したものと思いたいのだ。
この場合、生死の虚実は問うところではない。
昭43・7『自選自解飯田龍太句集』

菜の花や妣の頭の見へ隠れーbn
「虚実を問うところではない」と言っているから。
菜の花や母の頭の見へ隠れーbn
この方が詩情はあると思う。
――^――
「本当にそうだったんです」
「本当にそうだったは捨てましょう」櫂 未知子
見た物、事をそのまま句に詠んでも詩情は発生しない。