bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

詩というものは、元来独断的なもの。

今朝の秋つじつま合わぬ夢に覚む---山田重子
人の世に生きていれば、つじつまの合わないことは間々ある。
人は、見たこと、聞いたことを、自分に都合のいいように加工・編集する。
だから、何処かつじつまが合わなくなる。

 

池田澄子・・三句
何もなき郵便受けや秋立ちぬ
平凡のようでさにあらず、簡単には詠めません。

父も父の万年筆もとっくになし
あっけらかんと言っている、多分澄子先生はお父さんの年齢に近くなってからの作品ではないでしょうか。
お父さんは仕方がないにしても、万年筆は書けなくなっても大切に保存すべきでなかったかな。

夕月やしっかりするとくたびれる
確かにしっかりすると疲れます、三時間ほど確りしていたのでしょうか、風呂にでも入って疲れをとって下さい。

俳句も含め詩というものは、元来独断的なもの。
独断とは、自分が一番言いたいことはどこにあるかを見極めて、忠実に作品の中心に据えること。
飯田龍太(昭和四七年十一月『無数の目』)