bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

生死の虚実は問うところではない

冬耕の兄がうしろの山通るー龍太
私は、写生は、感じたものを見たものにする表現の一方法と考えている。
その逆でもいい。
また俳句は「私」に徹して「私」を超えた作品に高めるものだと思っている。
例えばこの作品の場合、私の兄でなくてもよろしければ成功したものと思いたいのだ。
この場合、生死の虚実は問うところではない。
昭43・7『自選自解飯田龍太句集』

菜の花や妣の頭の見へ隠れーbn
「虚実を問うところではない」と言っているから。
菜の花や母の頭の見へ隠れーbn
この方が詩情はあると思う。
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「本当にそうだったんです」
「本当にそうだったは捨てましょう」櫂 未知子
見た物、事をそのまま句に詠んでも詩情は発生しない。