百句他解シリーズ1・№2 池田澄子 兜太百句を詠む。 金子兜太
木曾のなあ木曾の炭馬並び糞る
金子兜太
「池田」この「木曾のなあ」はねえ・・・。
やられました。
「金子」―これが最後の句、兵隊に行く前の。
大学は繰り上げ卒業で、一人旅をした。
牧ひでを といのが名古屋にいて、そこに泊まって、それから木曾に一人では入って、帰って来て、そこから兵隊にいったんです。
その時の句でしたね。
「池田」その意味でも作者は忘れがたいですね。
それが、もう見事な兜太節。
「金子」うん、そうなんだ。
「池田」兜太節の完成がね、早いですね。
「金子」うん、早い。
「池田」ですから“体がそうなんですね、”きっとね。
「金子」秩父音頭のような民謡ばかり聞いて来たというのがあるんでしょうなあ。
「池田」「木曾のなあ」とこれを持ってこられたのがとても癪です。
この詠み方、もう誰も出来ないじゃないですか。
「金子」出来ないでしょうなあ。これは自慢なんですねえ。
“ちょうど”冬なのにもかかわらず広場で木曾節やってたんです、私も行ってみたんです。
翌朝、駅に向かっていたら、だーと並んでいた。
これから仕事に行くっていうんです。
これは実景です。
「炭馬」っていって炭を運ぶ馬。
そのころ山で炭を作って、それを馬で運んだ。
それを「炭馬」っていうんです。
「池田」足の短い丈夫な馬が目にうかびます。
「金子」丈夫な馬です、木曾の馬で。
生涯にわたって一句だけ褒めた男がいる。
褒めたのはこの一句だけ。
「池田」この一句だけと言えば、山本健吉ですね。
「金子」そう山本健吉がこの一句だけ褒めた。
「池田」あとは結局イデオロギーであって詩になっていない、っていう言い方でしたね。
「金子」そんな言い方でした。
危険だと、お前の俳句は、俳句をぶち壊してしまうと。
俳句の良さを壊してしまう、そういう言い方をしていました。
「池田」これが最後で戦争にいかれたのですね。
*
澄子の感動するほどいい句ではない。
僕は、兜太にこう言う句を期待していない、こういう句は兜太以外の者でも詠める。
健吉が褒めたのも、兜太が小林一茶の本を上梓して、これなら、ということで健吉に送った時の令状文の中で褒めていた。
兜太が「角川俳句」の中で語っていた。
角川が俺の句を採り上げなくなくなってね、いけねえ、と思いましたね。
碧梧桐(へきごとう)の二の舞だけは踏まないようにしようと誓い合って別れましたね。
“体がそうなんですね、”←意味が掴めない。
“ちょうど”←これはいらない。
口述筆記だから間違いはあると思う、でも出版社にはプロの校正員がいる。
・木曽のなあ木曽の御嶽まだ怒る・bnコショウ
御嶽は有史前からの噴火。
俳句は理を詠んではいけない。