bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

百句他解シリーズ1・№3 池田澄子 兜太百句を詠む。 金子兜太

 

        華麗な墓原女陰あらわに村眠り
                金子兜太句集
  「池田」私これは、さむくなるっていうか、震えが来るほどすきです。
        「金子」やっぱり貴女、感覚がおもしろいなあ。
             「池田」すきですね・・・。
             この「淫ら」うん、「淫ら」が。
              何て言ったらいいんですか。
             「淫ら」であることの生々しさ。
           それで、人が生きているんだという感じ。
              墓だけが華麗なんですねえ。
            貧しさの伴う哀しい見栄、でしょうか。
           「金子」そうそう、まさにそのとおりです。
           「池田」これはもう本当に凄い句ですねえ。
         貧しさがこの「淫ら」を生き生きさせるんでしょう?
  これしか生きがいがないみたいなね、そこまで言うと言い過ぎですけど。
        一句は何も言っていないから説得力が増します。
   「金子」そうです、そのとおりです、性欲だけで生きているんだ。
               それはもうぴったり。
            野母半島に行ってきたときです。
          漁村だがね、イワシ漁が駄目になってね。
            本当に貧しい状態だったんですよ。
       性欲だけで生きている感じが本当にあったんですよ。
              貴女のおっしゃるとおりです。
        「池田」汚れた布団とかね、感じられるんですよ。
           「金子」まったくそう、現実にそうだ。
             「池田」ですよね、きっとね。
昔だから、掛布団の襟のところに黒い別珍が縫い付けてあって、それがてらてらになっていてね。
             そんな布団まで見えて来る。
          「金子」まったくそういう所ですね。

                   ―*-
                これには参ったねー
          俳句は「自句を語るな」という鉄則がある。
     「本当にそうだったんです」は、もう言わない。(櫂未知子
なぜ、未知子がそう言ったか?・・俳句は事実を報告しても詩にはならない、詩情は発生しない。
         これは、ホントにそうなんです。
        この句は、金持ちも,貧乏も関係ない、
     漁村でも、農村でも関係ない、場所はどこでもいい。
     淫ら,みだらと連発しているけれど少しも淫らでない。

       女陰をあらわになったのは布団の中ではない。
         「性欲だけで生きているんだ」
             アホな事言うな。
           兜太は自句を自分で壊した。

        「華麗な墓原」血筋確かな祖先の墓の前。
         子孫を残すための崇高な性行為だ。
    「村眠る」は、両親、爺ちゃん、婆ちゃんが眠っている今現在。
   小姓はこの句、兜太の代表句だと思っている、それは今もかわらない。

(出版元はNO1を参照)