bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

百句他解シリーズ1・№4 池田澄子 兜太百句を詠む。

 

        谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな
                    兜太・(暗緑地誌)
                  池田・「歓喜」ですね。
               この「歓喜」は、うんと広い歓喜
                 例えば鯉も「歓喜」でしょ。
      揉み合っている「歓喜」、揺れる水自身の歓喜もありますね。
                 同じ夜の「歓喜」もある。
                金子・男女の目合いの歓喜
                      両方。
                    それを感ずる。
これは大岡信がねえ、朝日のあれ、「折々のうた」で鑑賞してくれました。
貴女の言ったとおりのこと。
池田歓喜」っていうのはすごく生のことばなんですが、この鯉がこうゆうふうに、水が動くように動いている、水を揺らしながら鯉が揺れている。
それがぼーっと目にうかぶので、この「歓喜」がすごく生々しい、言葉だけじゃなくって。
             そして人は人で同じ夜に。
             金子・命っていうのを感ずる。
          私は得意の句ですね「彎曲」とこの句だな。
               映像って問われたときに。
          この二つの句をいつも俺は挙げるんだけどね。
              これは俺の得意の映像だと。
               この色気がいいやなあ。
                エロスがいいんだ。
        池田・はい、それも土俗的な、スマートでないエロス。
               金子・そうそうそうそう。
                 土臭いエロス。
              それは俺の好みのとこだな。

                    
                 俳句に著作権はない。
            でも記事は、対談形式の言葉がある。
         引用権があるとはいえ丸写しの記事では気がひける。

       春めきて沢庵うまき膳に坐す
                 前島長路
           ころがりて居れば日暮るゝ田螺かな
                 高田蝶衣
        兜太は、こういう創り方にものたりなくなったのだろう。
          兜太節の善悪は歴史が決めてくれる。
       東京は不毛の汗のピカソ
                  平畑静塔
               この句は兜太に近い作風。

      汗の多弁やたつた一語を救はんため
                  加藤秋邨
        汗の女体に岩手山塊殺到す
                  加藤秋邨
      師の楸邨はやんちゃな兜太に手を焼いたのではないかと思う。