「けさのことば」岡井 隆
中日春愁
2020年7月14日 05時00分 (7月14日 05時01分更新)
少年が学校から帰り、自分の部屋をガラッと開けると、見知らぬ老人が布団を敷いて昼寝をしていた。
不条理芝居の滑り出しみたいだが、実話である。
父親が茂吉の結社「アララギ」の会員だった関係から家に寄ったのだろう。
「おお君の部屋を借りたよ」。
そう声を掛けられた少年はやがて歌人となり、戦後の短歌界をけん引する。
九十二歳。名古屋出身。
あの少年である。
大戦後、短歌は危機にあった。
敗戦のショックが大きかったのだろう。
短歌ではなく別の方向に進まなければ日本は文化的に生き残れないのではないか。
日本伝統の短詩型そのものを否定する意見もあった。
岡井さん、塚本邦雄、寺山修司が担った前衛短歌運動とは短歌滅亡論への疑問と反抗だった。
実験的な比喩表現や虚構性。
短歌の新たな可能性を模索し続けた。歌壇には「前衛狩り」の風潮もあったが、結果として岡井さんたちの試みは混乱期の短歌を救ったと言える。
<海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ>。かなしき婚とは一九六〇年の日米安保改定だろう。
歌の強さ、鋭さは後の世代から見てもまぶしい。
本紙ではコラム「けさのことば」を長く連載していただいた。
愉(たの)しみの半面、博識と内容の深さに、同じコラム書きは毎度ため息をついた。
(中日新聞春秋・コラム蘭)より、全文引用。
僕の家は祖父の代から、百年以上中日新聞の前身、名古屋タイムズからの購読者だ、全文引用、何か、文句あるきゃあも?。
時間がなくて新聞、読まない時があった、でも、「けさのことば」だけは欠かしたことなく読んだ。
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あるものをよく描くためには、それから眼を離して見つめねばならぬ。
『ジッドの日記Ⅰ』(新庄嘉章訳)
アンドレ・ジッド
ジッドは自分の小説を批評する人に対してこんな注文をだしている。
対象に眼を近づけるのではなく少し離れて「見つめる」のがいいのだ、と。
離れると周辺が見えてきて対象と周囲との関係がみえてくるというのだろう。
実はなかなか難しい凝視なのだ。
「けさのことば」
岡井隆の「今朝の言葉」の「ファイル」を作って心に感じたことは保存してある。
日付けを記していなかった、2014年で「けさのことば」は終わっているから、その以前ということでご勘弁をお願いいたします。
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