bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

独創句は強い

   囀りや三羽となりて派閥なる

                 小姓

         人も二人になれば力関係が発生する。

    烈風の枝を歩いて烏の子

                小西雅子

どの針もあはき影持ち針供養

                 辻 美奈子

  言われてみれば「針」にも影はある、でも、それを見たものはいないでしょう

 

俳句において、本当のような嘘の話は詩になる。

  親がらす歩み子からすつづきけり

                成瀬桜桃子

鴉のあるく様はぶざま、だからユーモアたっぷり、親の後を子がらすが歩く、童話チック。

カラスに限らず小動物は巣立ちしたら大きさ(外見)からは親子の区別はできない。

          作者はそんなことは百も承知。

  鳥類にみられる、カラスに刷込みの習性はない、それも作者は織り込み済。

        

 

 

東北大震災から十年がたつ、この災害を風化させてはいけない、盛んに言われていた。

      ぼくが生まれる前の「関東大震災」もわすれられていない。

    春灯けす思ってます思ってます

                 池田澄子

           先生、「現代俳句大賞」受賞おめでとう。

句集「此処」で、今年の読売文学賞受賞も、あわせてお喜び申し上げます。

俳句は意味を言ってはいけない

     日帰りの旅やコロナの春立ちぬ

                小姓

 

    立春の光ついばむ雀かな

               中島伊智子

 

    立春の雪のふかさよ手毬唄

                石橋秀野

 

   親からす歩き子からすつづきけり

                作者失念

雪の被害に会われたみなさまにお見舞い申し上げます

 

 

     信州の豪雪地帯に生まれ、晩年を過ごした一茶に「雪」の句が多い。

   これがまあ終の住処か雪五尺一茶

           住処(すみか)―住家は当て字。

     「これがまあ死に処かよ雪五尺」

       雪を好んで詠む一方で、雪への恨み言めいた句もある。
   雪行け行け都のたはけ待おらん

雪のおそろしさを知らず、雪を風情あるものと喜んでいる江戸の「たわけ者」のところに雪が降ればいいと言っている

        たたずめばなお降る雪の夜道かな

                     高井 几董

    高井 几董(たかい きとう、 (1741年) (1789年)は、 江戸時代 中期の 俳諧師

 

一般的に言って「・・・・すれば」で起こされた句は、犬が歩けば捧に当たる

という、因果関係を明らかにしただけの句になる。

        しかしこの句ではこの「たたずめば」が肝要だ。

           この句には時間の構造がある。

         降りしきる雪を時間でくぎってみたのだ。

         「たたずめば」で雪の時間をきったのだ。

   時間のその断面で雪を見直し、勢いの衰えないことを確かめたのだ。

          この句では時間の構造が重要なのだ。

 

今の時代、真の闇は無い、雪明かりなんてものは、反射する光があってのもの。

           江戸時代の雪の夜道は、全盲と同じ。

 

    素人が吹雪の中に出てゆくと

                  櫂 未知子

 

 

 

 

 

古典俳句(1539,40・・)

 

            元朝の見る物にせん富士の山

          山崎宗鑑(やまざきそうかん)(1539,40・・)生年不肖。

もちろん、この時代にテレビなどない、僕が知る限り、この句が一番古い句だと思う。

            松尾芭蕉は1644~1694年

 

              (せん「他に先んじての意」)

     今の時代で元日の朝、富士山は何処のテレビでもながされている。

             句意は、何ら説明の必要もない明瞭。

               その分、単調で俳諧味はない。

 

             同時代の句を幾つか拾っておきます。

      月に柄をさしたらばよき団(うちわ) 

       さむきとも火になあたりそ雪仏

      青柳(あおやぎ)のまゆかく岸のひたい哉

          柳を眉に、岸を額にたとえておもしろがっている。

     落花枝(らっかし)にかへると見れば胡蝶哉

       夏の夜は明くるどあかぬまぶた哉

        駄洒落の句ではあるが、これが当時の常套的な作風だった。

          プレバトの、夏井いつき先生なら眉をひそめる。

古典俳句

 

      元日やされば野川の水の音

                 小西來山(こにしらいざん)

             (1654~1716)305年前の俳人

句意・(されば)→元日だからこそ、聞きなれた野川の水の音も普段と違った感じに聞こえる。

        三百年前と令和の時代では元日を迎える感覚も違うと思う。

 

       元日や草の戸越の麦畑

                黒柳召波(くろやなぎしょうは)

             (1727~1771)時代は蕪村と重なる。

            鑑賞のポイントは・「草の戸」は、裏の戸でしょう。

        おもては、しめ縄、門松で飾られている、その対照の面白さ。