bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

俳句は物、事を言うものではない

無季俳句、破調、俳句にルールはない。洗濯ものとりいれるとき地球いっぱいー島津亮一読「作者の頭の中だけで発酵している句」俳句は読者と共同作業。作者は読者への挑戦かも知れない。 洗濯ものをとりいれるときに、地球がいっぱい、と思った。と言う事だか…

ヨーロッパにも残暑はあるのかな?

ラクビーや敵の汗に触れて組むー中村草田男日本の残暑にラガーらの走りーbn 日本の残暑にラガーらの走る 「り」と「る」では微妙な違いが生じる。

ウマイ物デモ食ヒタイ

余モ最早飯ガ食ヘル間ノ長カラザルヲ思ヒ、今ノ内ニウマイ物デモ食ヒタイトイフ野心頻リニ起リシカド、突飛ナ御馳走ハ内ノ者ニモ命ジカヌル次第故、月ヾノ小遣銭俄ニホシクナリ、種々考ヲ凝ラシゝモ、書物ヲ売ルヨリ外ニ道ナク、サリトテ売ル程ノ書物モナシ…

一朝にして財布を掃ふ

私月俸三十円迄に昇進仕候故、どうかかうか相暮し可申(もうすべく)とは存候得共、(ありそうらへども)こんなに忙しくては人力代に毎月五円を要し、其外社にてくふ弁当如きものや何やかやでも入用有之(これあり)、又交際も相ふゑ候故、三円や五円一朝に…

捨て子

今捨てる子にありたけの乳を飲ませ=江戸古川柳なくよりもあわれ捨て子の笑ひ顔=・・ゝ・・ ゆるしてください、もうしません。虐待死させるより捨てた方がまだまし。僕なら拾って育てる。僕だけではない、育てる人は大勢いる。

国が自国民を殺す

男と女が裸でアラレモナイ肢体を晒してはいけない、但し、背中に羽をはやしていればかまわない。 まな板の上で牛肉を切り刻めばその色は赤い。まな板の上でフグを切り刻めばその色は白い。 裁判では、牛肉を切断したときにその肉片の色は「何色だったか?」と…

はったりを咬ます

身長169センチ、体重53キロ、二十歳代からその体型は今も変わらない、自慢と思われるかも知れませんが、僕は貧弱な体にコンプレックスを感じていました。 今は63キロ、標準でしょう。 昨日全国チエーン店のラーメン屋で昼食を摂りました、11:45分…

俳句も注釈も控えめで成る

吹降りや琴の胴越す蟻の顔ー内田百閒百閒は生田流の琴の弾きてでもある。外はひどい吹き降りで、あわてふためいた蟻が部屋に入って来たのだろう。置かれた琴の上を横切っていくのだ。「顔」と据えたために、蟻の狼狽した表情までみえるような感じがある。(…

漱石が脳天気だったら名作は生まれなかった

魂にも身体と同じに健康と病気がある。両者は信仰と習慣によって左右される。人がいなければ神は存在しない、これは自明の理、人が、人を左右するには、神をもって来れば易い。雁風呂や波の上なる宵の星―棚山波朗「雁風呂」秋に渡来するとき咥えてきた木片を…

私の選が絶対だというやり方もあります。

日焼けなき腕時計痕へ腕時計―池田澄子意味なんて何もない、理屈もない、俳句は意味を言うものではない、理屈もダメ。掲句は、澄子の句、澄子の創作。 鵙猛る食はずに贄にしてしまうーbn池田澄子選・角川平成俳壇・佳作見栄っぱりの鵙もいる、本当は食いたか…

こういうつまらない俳句

相談の結果今日から夏布団ー池田澄子折につけ思い出す俳句がある。自分の俳句なのに、思い出す句と、余り思い出さない句、それからきれいさっぱり忘れている句がある。掲句は毎年必ず思い出す。相談の結果、今日から夏布団にするという日が必ずあるからだ。…

「冷たし」「底冷え」は冬の季語。

冷やか・冷ゆ・冷え・冷え冷え・冷や冷や・冷気空気が冷えてくると、肌に触れる物に、冷たいというほどではないが、冷ややかさを感じる。事物を心理的に捉える場合にも、この表現を使うことがある。(歳時記)より。冷え冷えとわがゐぬわが家思ふかなー相馬…

季語をとったら残るのは何語ですか

飯田龍太全集・拝論・拝話Ⅰ・角川学芸出版 「文芸広場」(昭和五九年十二月号)の対談の中で、詩人の田中克己氏が「俳句の方は全くやりませんか」という問いに対し、田中「はい。だって季語をとったら残るのは何語です。やはり第二芸術ですね。第二芸術とは…

俳句の先生は自分

俳句入門三十三講・・飯田龍太・・講談社何年か前から、私は、俳句は没になっても、一年ぐらいは保存してもらいたい、こういうことを申し上げています。その基本的な考えは、俳句の場合は、撰者兼作者だということです。もっと詰めていえば、俳句の特性は作…

凡人ではない

蛇の悩み舌がひらひら出てしまう_池田澄子草濡れたり抜かれたりして八月来_澄子漬物がすっぱく春の日が西に_澄子 まいったなぁー、この人、蛇が悩んでいるかどうかどうして分かるんですか?あれって、出しているのと違いますか?・・・本当は出したくない…

声もない、音も小さい

梅を干す真昼小さな母の音―飯田龍太音で存在を感じている、音で母親が何処に居るのかも分かる。龍太は原稿の締め切りに追われ、筆を走らせているのでしょう。「梅を干す真昼小さな母の背」・・・だったら凡。夏の真昼、人は屋内で暑さを耐え凌ぐ、従って声も…

季語が治まらないと根なし草みたい

梅雨の川こころ置くべき場とてなしーー飯田龍太 岩々の見え重なるや梅雨の瀬にーー蛇笏という一句が思い浮かんだ。私のこの句は、対象から眼を外らしている。 ということは、「梅雨の川」でなくてもイイ、ということでしょう。季語が動く。桃の花こころ置く…

詩というものは、元来独断的なもの。

今朝の秋つじつま合わぬ夢に覚む---山田重子人の世に生きていれば、つじつまの合わないことは間々ある。人は、見たこと、聞いたことを、自分に都合のいいように加工・編集する。だから、何処かつじつまが合わなくなる。 池田澄子・・三句何もなき郵便受けや…