bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

俳句も注釈も控えめで成る

 

吹降りや琴の胴越す蟻の顔ー内田百閒
百閒は生田流の琴の弾きてでもある。
外はひどい吹き降りで、あわてふためいた蟻が部屋に入って来たのだろう。
置かれた琴の上を横切っていくのだ。
「顔」と据えたために、蟻の狼狽した表情までみえるような感じがある。
(小室善弘)
あわてふためいた蟻が・・・
蟻があわてふためくことはない、あったとしても読者は納得しない。
蟻の狼狽した表情・・・
蟻はポカーフェイス、表情には出さない。
ヘタな注釈、せっかくの面白い句が台なしになってしまった。

出典は・名句鑑賞辞典―角川書店
僕の通う図書館は「辞典」とあれば貸し出し禁止の決まりがある。
僕の手帳から。

以前の、中日新聞、中日俳壇・宇佐美魚目選の年間賞の巻頭句。
六月や空路海路のバナナの荷―白石好孝
魚目の注釈は、作者は、海運倉庫を業とする会社の重鎮。
六月は不思議な月である。
荷はあまたあるが、バナナに絞ったこと。
これしか記さなかった。

魚目は、パナマ産とか、フィリピン産とか言ったら句の重みはなくなることを知っているのだ。