俳句の先生は自分

俳句入門三十三講・・飯田龍太・・講談社
何年か前から、私は、俳句は没になっても、一年ぐらいは保存してもらいたい、こういうことを申し上げています。
その基本的な考えは、俳句の場合は、撰者兼作者だということです。
もっと詰めていえば、俳句の特性は作者が同時に作者の先生である。
つまり俳句の先生というものは、自分だということ。
これは、非常に大事なことと思っておるわけです。
繰り返していうようですが、撰者というものは参考だという気持ち・・これをもうちょっと考えてみると、最後に決定するのは自分だということ。
したがって、一年経って落選した自分の作品をもう一度見直したとき、一年前に作ったときの自然の風物、ないしは自分の身辺の考えが、まざまざと甦ってくる作品は、その人にとって大事であり、同時にその人の作品だと思う。
こういったことを前にもいったように思うんですが、その基本的な考えは、やはり俳句というものは、みずからがみずからを教えるものだということ。

その点、もっとも見事なサンプルを示したのは、私は、芭蕉だと思う。
芭蕉という人は、作品をいくつか推敲しておるが、その推敲の見事な結果はどこから生まれておるかというと、やはり芭蕉の先生は芭蕉だということです。
そういう考えを最初に懐(いだ)いたのは、かれこれ二十年ほど前になりますか。

『雲母』というよりも俳壇的にたいへん立派な俳人であり、現在は僧籍に全ての力を傾倒され、
俳句はあまり作っておられないようですが、中川宋淵(そうえん)さんと蛇笏のことがらで、ちょうど、私が『雲母』を編集しておったときだろうと思うんです。
そのとき、五句出句のなかで、
〈黍の葉に黍の風だけ通ふらし〉=宋淵
という句があったんです。
これは蛇笏が没にしたんですよ。
・・・略・・
本人、それを承知しないんです。
それはえらい事実ですよ。
その時に、この作品について、私が生意気に「ちょっとこれ、洒落てるね」というようなことを言ったんです。
そうしたら、親父怒りましてね(笑)。
どういうせりふだったか忘れたけれど、私、めちゃくちゃにやられてね、という事は、親父もまんざらでもないなあと思いながら落としたんではないか、と今では思うんですが。
ところが宋淵さんは頑固で、やはり一年ぐらい経って、その当時もあった総合雑誌の自選五句というのに、確かこの句が入っておった。
やはり蛇笏といえども、自分の選句に対する我を通す面があると同時に、出句する側もやはり我を通すべきだと思う。

私はそういう意味合いで、没になった作品でも一年ぐらいは保存しておいてほしい。
だから撰者というのは参考だということを申し上げておる。
というのは、俳壇がそうでない傾向にあり、そして撰者がなにやら自分の選が絶対だと思わせようとする風潮さえある。
しかし、俳句というものは、本来自分が自分に教えるものだ。
あるいは自分が自分に教えられるものだ。
教える自分を作るのは歳月が必要。
また俳句以外の要素も必要です。
栄養をもった自分の眼、あるいは心というもの__これこそ自分を高める最大のものではないかと思う。
私は最近、そういうことを感じながら芭蕉という人をみてみると、俳人以外の人が芭蕉という人を非常に高く評価する原因が何となくわかる。
私流に解釈すれば、芭蕉がもう一人の芭蕉を用意しておった。
別の自分を養う事に対する努力を惜しまなかった。
このことで作品を推敲する上でも、ないしはその紀行文の上でも見られ、だんだん晩年にいたって高められてゆくと同時に、創作の要素も加わって、文芸上の真実というものがうまれてゆき、結果として俳人以外の人の心に響くのではないかと思う。
(「雲母」1972年3月)