一朝にして財布を掃ふ
私月俸三十円迄に昇進仕候故、どうかかうか相暮し可申(もうすべく)とは存候得共、(ありそうらへども)こんなに忙しくては人力代に毎月五円を要し、其外社にてくふ弁当如きものや何やかやでも入用有之(これあり)、又交際も相ふゑ候故、三円や五円一朝にして財布を掃ふわけに御座候。
近来は書物というものほとんど一冊も買へぬやうに相成申候。
明治二十七年三月八日付大原恒徳宛子規書簡
今の私には、新しいい文体、当時の暮しぶりの一端が伺える。
因みに、(明治三十年の小学校教員の初任給は八円)
自慰
柿くはヾや鬼の泣く詩を作らばや
我死にし後は
柿喰ヒの俳句好みしこと伝ふべし
日本派の句集に画く菫かな
和歌に痩せ俳句に痩せぬ夏男
栗飯ヤ病人ナガラ大食ヒ
子規と思えない下手な句、デモこれが子規、性格は豪放磊落。
人問はヾマダ生キテ居ル秋ノ風