bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

ヤーフーブログに投稿を再掲

床に覚めけふ思ひ入る白障子―bn

覚めてまだ今日を思はず白障子―岡本 眸

 

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山口誓子・・再掲
蘆の芽や志賀のさざなみ靴ぬらすー田村木国
蘆の芽が水面にぬきんでるころ、琵琶湖のほとりに立った。
蘆の芽の間をさざ波が寄せてきて、自分の靴をぬらす。
海の波とちがって湖の小さな波であるから、逃げはせず、濡らすにまかせているのである。
蘆の芽や志賀のさざ波やむときなしー伊藤疇坪(ちゅうへい)
という句がある。
この句は毎日新聞社が名勝俳句を募集したときに、琵琶湖の句としてグラン・プリをえた句である。
木国と疇坪の句は「蘆の芽や志賀のさざなみ」までが共通で、肉体のくっついた双生児のようだ。
しかし、この双生児をよくみくらべてみると、「やむときなし」は現実を越えて無限感をめざし、「靴ぬらす」は強く現実に立脚しているから、受ける印象は全くちがうのである。
作られた年代はいずれが先、いずれが後なるかをしらぬが、一方を他の流用だなどといってはいけない。
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