子規に学ぶ
―正岡子規云ふ―
句調のたるむこと一概には言ひ尽くされねど、普通に分かりたる例を挙ぐれば‘虚字(きょじ)の多きものはたるみ易く、名詞の多き‘者‘はしまり易し。
虚字とは第一に「‘てには」なり。第二に「副詞」なり。第三に「動詞」なり。
故にたるみを少なくせんと思はヾ成るべく「てには」を減ずるを要す。
試みに天保以後俳句を検せよ。
不要なる処に「てには」を用ゐて一句を為す故に句調たるみて‘聞くべからず。
又之に次ぎて副詞はたるみを生じ動詞も亦たるみ易し。
但し副詞、動詞などは其使ひ様による可し。(どんな忌み嫌う言葉でも使い方)
今たるみたる句の例を挙げんに
「ものたらぬ月や枯野を照るばかり」―蒼虬(そうきゅう)
といふ句の中に必要なるものは月と枯野との二語あるのみ。
「月や枯野を照ばかり」といへば「ものたらぬ」の意は自ら其の中に含まれ、
「ものたらぬ月の枯野」といへば「照るばかり」の意は自ら其の中にふくまれたり。否、両方とも実は無用の語のみ。
此句の意は単に「月の枯野」とか又は「枯野の月」というばかりにて十分なりとす。
同じ事を幾様にもくり返さねば其意の現れぬ如き心地するは、初学者及び局外者の浅簿なる考より来るなり。
・・・略。
・・・蒼虬の句中偶々この悪句あらず、彼の全集は尽く此種の塵芥を以て埋めらるゝ‘者なり。
而(しか)して此の派を称して芭蕉の正風なりといふに至りは真に芭蕉の罪人なり。
ビシビシとインロー三球雁渡し
インローにビシり三球雁渡し
小姓