清和(季語・初夏)
飯田龍太
__帰省子に山が着流しにて暑し__
これは内容的には面白い句で、夏休みに久々で田舎へ帰って眺めた山が、真夏の光の中で、まあ着流しのような感じを受けたという句意ですが、これは随分問題がある。
「山が着流し」ということが、この作品の眼目です。
それに帰省子とか、山が暑いなどというのは全然駄目。
上、下に風鈴をつけて如何にも俳句らしくしておる(笑)。
それに「山が着流し」というのは面白い比喩ではあるけれども、詩的な比喩ではなく、飽くまで散文的な捉え方だと思う。
散文的な要素があることは決して悪いことではないが、それを整理して韻文にもってゆくことが、つまり俳句のコツだと思う。
で、この作者の場合でも、帰省子を持ってきたり、「暑し」なんて恰好をつけたんだが、俳句としては不十分です。
(「雲母」昭和四十八年八月)
故郷の山着流しの清和かなーbn
話だしたら止まらない
茄子苗の事に二時間奪られけりー藤田湘子
軽い気持ちで質問した・・・相手は専業農家の人ではないと思う。
趣味で野菜を作っている人だ、もう、話だしたら止まらない。
名句だと思う
新妻の無為の時間や水中花大輪靖宏
「無為」をどのように説くか?
水中花も微妙に新妻と絡み合っている。
令和の今は新妻も勤めに出るのかな、だとしたら「無為」は働かない。
「飛ぶ蛍」では作意が顕、作品にならない。
人殺す我かも知らず飛ぶ蛍-前田普羅
鶏、豚、牛、馬を、殺せる人はそんなにいない。
状況によって、人は殺せる。
十人、二十人、百人殺せば殺人鬼。
百万、二百万、一千万人殺せば英雄。
トランプさん、ロウハーニーさんが、英雄にならないように願うばかり。
政治家の第一の仕事は、自国民を飢えさせないこと。
俳句は物、事を言うものではない
無季俳句、破調、俳句にルールはない。
洗濯ものとりいれるとき地球いっぱいー島津亮
一読「作者の頭の中だけで発酵している句」俳句は読者と共同作業。
作者は読者への挑戦かも知れない。
洗濯ものをとりいれるときに、地球がいっぱい、と思った。
と言う事だから、何がいっぱいなのか・・・。
広義に解釈して・・・
世界の人口は、72億人、地球がいっぱい、は、人でいっぱい。
5億人が飢餓か、栄養不足に苦しんでいる。
仮に、ライオンが人の1%、7千2百万頭いたら人間はどうするだろう。
ライオンは地球を壊さない、人類は怖い、地球を壊している。
背高泡立草は自滅する花奢るなよー金子兜太
「奢るなよ」は人類に言っている、こういう理屈の句は嫌い。