bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

句は鑑賞者によって名句に昇華する

ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき―桂 信子
名句と言われているが、俳句の基本から外れている作り方。
僕は男だから乳房が憂いかどうかよく分からないけれど、そのように言われてみれば、なんとなくそんな気がする。
だが、季語の斡旋に同意出来ない。「憂さ」と「梅雨ながき」が付き過ぎ。
蟇ないて唐招提寺春いづこー水原秋櫻子
「この句はやまぶきのほかに何ひとつ春らしい景物の無い講堂のほとりを現し得ているつもりであるが、
<春いづこ>だけが感傷があらわにですぎていていけないと思っている。

作者。

往々作者が不満とおもうところと、鑑賞者がよしとするところとは一致するものであるらしい。
「春いづこ」の詠嘆が一句を統一ある感銘にさそうのである。
春らしい景物のない講堂のほとりに佇って。作者は春の行方を尋ねているのだ。
作者の惜春の情趣は、一句に横溢しているではないか。
ぶざまな蟇の声が、物寂しさを倍加する。
景物の乏しさの中に、作者は一匹の蟇を点じて、暮春の本意を探り出している。
作者の考えとは反対に、私は、「春いづこ」の座五を動かぬとみるのである。
山本健吉・俳句鑑賞歳時記・角川書店発行