bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

秋彼岸

 

 




秋彼岸父の昔を母語野見山智子
お父さんは亡くなられている、季語が彼岸だから。
「秋高し父の昔を母語り」
だったら、お父さんは亡くなられてはいないのでしょう。

秋彼岸好きな道来て賞罰なしー中島福子
「季語」は納まっているのか、遠すぎるのではないかな?。

墓だけとなりしふるさと秋彼岸ー福本幸子
大都市集中の是非、地方にも働く場所があればこのようにはならなかったでしょう。
ここは季語「秋彼岸」でないといけない。

秋彼岸いつしか馴れし独りぼちー佐藤茂
少子高齢化、動けなくなったらどうしたらいいのでしょうか。
《秋彼岸後添えの話あるにはある》
「独りぼち」は必ず孤独ではない、同居家族がいて「孤立」は耐えられない。
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俳句のような詩型では、常凡に徹したとき、初めて作者のおもいを超えた非凡の力が付与されるものである。
飯田龍太(昭和47・11『無数の目』)

要するに龍太の教えようとしていることは、俳句は意味を付けてはいけない、ということ。
これを自分に教え込むは至難の業。