bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

余情、余韻がなくば発句にあらず

   気違ひ茄子の夕闇白し廃僧院平井照敏・・(昭和四六)
        (きちがいなすのゆうやみしろしはいそういん)
     自解・前年イタリアをめぐったとき、どこかで見た花である。
           この花はダチュラとも言う。
     作例が少ないためか、山本健吉氏の歳時記に例句として採られた。
                    *
         俳人は詳しく自句、自解はしないものなんですね。
          「気違ひ茄子」わからなければ調べろ!!
               ハイ、すいません。