bnkosyouのブログ

表記された言葉の奥にあるもの//言い終えて何かあるか、俳句は詩、ということを忘れている人は多い

2020-01-01から1年間の記事一覧

持ち重り

六月の葉ずれに眠り赤ん坊 石田郷子 爽やかな風が吹き抜ける六畳間、というところか? 六月は不思議な月、はる・なつ・あき・ふゆ、は明快に区切られている、実感として感じることが出来る。 六月は違う、「梅雨」のはしり・中休み・五月晴れは梅雨の晴れ間…

持ち重りパートⅰ

六月の葉ずれに眠り赤ん坊 石田郷子 六月の着て出たキティ持ち重り 小姓

😆秋になっても鴉の怒りは治まらない。

詩歌は個性の表現である。 個性無くして創作はあり得ない。 比喩的に、象徴的に、擬人化したり、意味は持たせるけれど表面からは埋もれさせてしまう。 その端的なものが俳句である。 温暖化まつ黒なるや秋からす 小姓 鴉は季節を問わず黒い。 一面に黄色とな…

実在する物は美でも醜でもない ただ、存在するだけだ。

温暖かまつ黒なるや秋からす 小姓

一人は寂しい。ひとりが好き、は自分を偽っている。

はまなすのどこへ腰掛けてもひとり 落合水尾 一読意味が取れない句、秀句の条件の一つでもある。 この一人は物理的な一人ではない、回りは人でいっぱい。 水尾さん、失恋したのかも知れない、回りは幸せそうな家族ずれ、若い恋人同士。 季語・浜茄子(はまな…

午前九時始まる避暑の日課かな・・虚子

去つてゆく足跡ばかり春渚 吉田千嘉子 爪先はどちらを向いているのだろう。 陸の方と海のほうとでは解釈、鑑賞は違ってくる。 作者はそれを言っていない、だから奥の深い句になっている。 年齢も不肖。 写生句で、「実際そうだったんです」と言ったら、大し…

(「こよなく」この上ない) おしむ、意表記は「惜しむ・愛しむ」

小姓 八月のこよなく悼む別れかな 堀本裕樹の選で活字になった句。 八月をこよなく悼むわかれかな 八月をこよなく悼み惜しみけり 夏をしむ・冬をしむ、という季語はない。 八月をこよなく悼み別れけり 意味は同じですが、助詞違の違いで微妙な風韻の違いがで…

理解できない不思議な俳人

白扇をひらけば山河生れけり 鷹羽狩行 句集『平遠』で第25回芸術選奨文部大臣新人賞受賞。1976年、毎日俳壇選者。1977年、会社を退職し俳句専業となる。 2015年、日本芸術院賞受賞。同年、日本藝術院会員。2019年(平成31年)の歌会始の召人。 俳人協会名誉…

😪草や木、鳥たち、物みな生気溢れる時期、だから、人は愁いに襲われるのだと思う。

満開の次のしごとを花の幹 渋谷道 作者は有名俳人、好きな俳人でもある。 花の幹、は、桜の木でしょう。 助詞の「を」が、句を深くしている。 聞くまでもない、次の仕事は「花吹雪」次は「葉ざくら」毛虫とも戦わなければならない。 桜紅葉はきれいじゃない…

😘信条、深念が見え隠れしている。

“ツレ”の義父が、室温が38度Cになっていてもクーラーを使わない。 義姉が、私たちが何度いっても聞いてくれない、一言、言ってほしい。 義父さん、以前言っていましたよね、平熱は36度って。 ヘモグラビンhba1c ngpは4.6~6.2が平均値って知って…

 すべては結果が物を言う。

「まだやっているのかと呆れて我を見る 結果がなければ物は言えない」 何かを研究している人でしょう。 「まだ我のこだわり続ける疑問点に ボスの両眉不機嫌となる」 永田 紅 思い切りよく諦める人。 頑なに諦めない人と、どちらが良いのか。 頑固を辞書で当…

釈迦は変人。

「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」 (「釈迦牟尼」しゃかむに)与謝野晶子(1878~1942) 仏になってしまった釈迦に恋をしてもどうにもならない。 仏でなくとも、あの男は恋などしない。 釈迦牟尼は美男におはす夏木立宿鎌倉に自慰を楽…

自分でGoodだなんてNOだ

「秋冷やハーレダビットソンのメッキ」 人はいるけど影が薄い。 この句は、取り上げて論じるに値しない。 「秋冷やハーレダビットソンの女」 ハーレダビットソンと女の取り合わせは、意外性はある。 ナナハンの運転免許を取得するには、試験科目に、倒れてい…

 最近の地球は、秋彼岸でも、35℃を越える暑さがある。

立秋から十一日が過ぎた、盛夏より残暑のほうが暑さは厳しい。 気象学者は今、地球は氷河期である、と言っている。 宇宙のカレンダーで計れば、一千万年はゴマ粒より短い。 永久凍土が溶け始めて、一億年前のウイルスが地上に出てきているそうだ。 これは専…

😅バルトリハリは七世紀、インドの詩人。

無知を匿す被いとして、(被い「おおい」) 創造神は、 いつも傍にあって、 意のままになる、 「沈黙」を作ってください。 処世百頌・(しょせい、ひゃくじゅう)バルトリハリ。 松山俊太郎・訳 「沈黙」をきめこむことは「無知」をかくすだけではない。 処…

😂読み解く手がかり、足がかりがない・・お手あげ。

小満や白磁の碗に湯を享けて 大石悦子 小満・二十四節気の一つ。 読み解く手がかり、足がかりがない・・お手あげ。 解釈、鑑賞が出来ない句は、僕が未熟なのか? 作者は一流俳人。 小満と白磁の碗の繋がり、「湯」は白湯でしょう。 湯のみではダメなのか。 …

🤐俳句は強い言葉で壊れる

青嵐軍鶏に生疵ありにけり 亀井雉子男 季語「青嵐」清涼/爽快、明るいイメージが本意。 語感からは、荒れた風のイメージ。 蹴り合うて闘鶏宙をもつれ落つ 駒木逸歩 闘鶏は季語だが、軍鶏(しゃも)は季語ではない。 青嵐軍鶏に生疵絶え間なし (青嵐)(軍…

😅東の空にたなびく雲。

藻の花や雲しののめの水やそら 蕪村 「や」が二つ、ややこやしい。 上五の「や」は切れ字でもあるし、強意でもある。 座後の「や」は並列の「や」 ― (東雲「しののめ」)東の空がわずかに明るくなる頃・あけがた・あかつき・明け方に東の空にたなびく雲。 …

😍俳句に魂を入れるのは読者/NO2

藻の花のあはれ流れてゆかぬなり 矢島渚男 流れて行かぬ藻の花、哀れと言っている。 なぜ哀れなのかは読者の胸の内にある。 藻の花の擬人化、未練を断ち切ることが出来ない。 渚男、やるじゃない、さすが一流俳人。 櫂につづいて一句読んだ、という充実感に…

俳句に魂を入れるのは読者

さみだれの島さみだれの海の上 長谷川 櫂 季語・「さみだれ」が主。 島も海もさみだれを支えている。 さみだれの/島さみだれの/海の上 さみだれの島/さみだれの/海の上 名詞切れ、島で切って読むことも出来る。 俳句はリズム≪律≫も重要。 七五五、で読ん…

 恒久平和がくれば、兵器はいらなくなる。

女身仏に春剥落のつづきをり 細見綾子 この剥落はミクロの世界、目視でその変化を確認出来るのは百年後。 写生に徹しながらなおかつ主情的・直感的な句をものにした作者。社会性俳句の旗手とされた沢木欣一を夫としながらも、社会性俳句からは刺激を受けてい…

😀僕がそうだったから、そう思う

卯の花腐し赤んぼ手足みじかけり 関取のまはし卯の花腐しかな bn 僕がそうだったから、そう思うのだけれど(「卯の花腐し」うのはなくたし) (季語)は、門外漢にはまず分からないでしょう。 赤ちゃんの手足が短いのは可愛らしい、“卯の花腐し”の季語は…

🤣「国民は最低限の文化的生活をおくる権利を有する」

人は自分中心で生きている、というと「そんなことありません私は人のことを 思って生きています、いつも人に助けられて生きていますよ」と、反論してくる人がある。 そう言える人は余裕がある人。 新型コロナウイルスによって、会社が閉鎖、収入がなくなり家…

👨AIはそれが出来ない。

将棋界に藤井聡太棋聖が新風を吹き込んでいる。 彼の師匠、杉本昌隆、1968年11月13日(51歳) 愛知県名古屋市出身。(板谷進九段門下)とは何局か指導を受けた、もちろん二枚落ち。 四枚落ちでお願します、いや、二枚落ちでやりましょう。 二回ばかり四枚落ち…

虚子に飽き足らない俳人が出て来るのは頷ける。

膝に来て消ゆる稲妻薄きかな 高浜虚子 難しい言葉は何もない、でも、句形はイマイチ。 「膝に来て」稲妻が膝を照らした、ということ。 「来て」は、無駄な言葉・「稲妻膝に」これで来ている。 「消ゆる」消えない稲妻なんてない。 「薄き」かな・止の詠嘆、…

虚子無用論・虚子六句

浅間背に日覆したる家並び 浅間山をバックに葦簀か何かで日除けした家が並んでいる。 流れ星悲しと言ひし女かな 「悲しと言ひし」感傷的。 感傷的な句はだめだ、それがどうしたのでしょう。 どんな巨匠でもつまらない作品が出来てしまうことはある。 でも、…

僕が虚子をとりあげるのは稀。

死にし虻蘇らんとしつつあり 高浜虚子 (しにしあぶよみがえらんとしつゝあり) 一旦死んだ虻は生き返らない、死んだと思ったけど、死んでいなかった。 という句意。 俳句はくだらない事を言えばいい。 意味のないくだらない事を言った者が勝ち。 大空にうか…

「息」と「熄」

噴水の熄(や)む空答へなきままに 津島里永子 噴水と空の取り合わせは陳腐、でもこの句は新鮮、作者の創作。 終熄→終息←今はこちらを使われることが多いが「熄」は「ソク」とは読むが(イキ)とは読まれない。 噴水のてっぺん三秒の憩ひ bn 十七音だが、…

生き比べ

前向ける雀は白し朝ぐもり 中村草田男 さすが一流俳人。 皮となる牛乳のおもてや朝ぐもり 日野草城 牛乳は「チチ」と読まなければ定型に収まらない。 「朝曇り」は夏の季語、牛乳が膜をはるのは温めて表面が冷えたら膜がはる。 夏は牛乳を冷やして飲む、これ…

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

人生は受容であって・戦いではない。 長田 弘 長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日[1])は、日本詩人、 児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。 弘の言葉を解釈すれば。 人生は戦うことではない。 人生は最前線を歩むことではない。…